金子宅明(1573?〜1645年)

官位・通称:弥右衛門・周防守
 幼名・専太郎。金子元宅の長男。人質として土佐に送られ、長宗我部元親の厚遇を受ける。長宗我部氏の改易後も土佐に残るが、やがて縁故を頼って伊予に行き、松山城主・加藤嘉明に仕えた。一説には元親に降伏した本山親茂の三弟・小兵衛の娘が宅明の妻で、加藤家に本山一族の者が仕えていたため、召し抱えられたという。
 会津移封にも従うが、嘉明の息子・明成の時代に御家騒動が起き減封されたため、伊予に戻る。のち伊予にて山内忠義に対しての功と、姉・かねの推挙により忠義に仕えた。1645年2月24日死亡。吸江寺に葬られる。法名・圓歸心空道安居士。

高知県高知市吸江122にある吸江寺
吸江寺
UPDATE 2010年12月22日
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