海部友光(生没年不詳)

官位・通称:左近将監・越前
 阿波海部城主。名は宗寿とも。妻は三好長慶の妹。藤原氏を祖とし南北朝の争乱では細川氏に味方している。やがて三好氏が阿波を支配するとそれに従った。
 1571年、長宗我部元親の弟・島親益が伊勢参りの途中、那佐の港に立ち寄ったとき襲撃し殺害している。理由は元親に滅ぼされた安芸郡の領主と親しかった、領地を探りに来たと勘違いしたなどの説がある。同年、元親の侵略に備えて居城を阿波吉野城から海部に移した。
 1575年、元親が四国侵略の手始めと弟の敵討ちのため海部城を落城させる。その際、友光は三好長治の讃岐攻めに従軍していたため不在であった。その後の動向は不明である。
 四国攻めの後、友光の一族は阿波に戻り刀匠として名を馳せている(海部氏は刀工も生業としていた)。

徳島県海部郡海陽町鞆浦にある阿波海部城跡
海部城跡
UPDATE 2015年5月2日
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