稲垣則茂

(いながきのりしげ)

生没年:1585〜1665年/ 身分:牧野家の家臣/ 官位(通称、号):喜左衛門

稲垣家累代の墓
群馬県伊勢崎市下植木の天増寺にある稲垣家累代の墓

 徳川家の家臣・稲垣長茂の子。1601年に長茂が牧野家の付属から独立大名となり、則茂の兄・重綱も従ったが、則茂は牧野家の下に残る。大坂夏の陣に従軍し鎧武者の首を含む首級27を得る活躍をした。
 その後、牧野家の家老となり、牧野家が1616年に越後長峰への移封される際には長峰城の整備の指揮をしている。1618年の同国長岡への移封に際しても長岡城の整備の指揮を行った。それらの功で2400石を与えられる。1665年死亡。群馬県伊勢崎市の天増寺に葬られた。

管理人・・・則茂には子供がいなかったため、主君である牧野忠成の五男・忠清を養子にして跡を継がせるつもりでした。しかし子供が出来たため、忠清は三根山藩の牧野定成の養子に出されています。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2014年6月15日
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