奈良元政(?〜1582年)

官位・通称:太郎兵衛
 名は勝政とも。讃岐聖通寺城主。奈良氏は武蔵大里郡奈良を本拠地としていたが、足利将軍家に従い上洛。細川氏の馬廻りとなる。1362年、白峰合戦で戦功を立て、鵜足・那珂の二郡を与えられた。応仁の乱の頃には、香川氏・安富氏・香西氏と共に「細川四天王」の一人に数えられる。
 しかし次第に勢力を失い、元政の時代には数ヶ村を支配するのみとなってしまう。1582年7月、香川親和が中讃制圧のため、一万二千の大軍を率いて聖通寺城に迫った。元政は抗することは不可能と考え、城を捨て250の兵と共に香西佳清に合流しようとする。しかし洪水のため合流できず、十河存保を頼って阿波勝瑞城に落ち延びた。
 1582年8月28日、中富川の戦いに参加し戦死する。

香川県宇多津町坂下にある聖通寺城
聖通寺城
UPDATE 2012年2月2日
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