御感状

 大坂冬の陣後、豊臣秀頼は冬の陣で活躍した武将達に褒美を与えた。1615年2月28日には木村重成を呼び、褒め称えた。
「今福の戦いで大軍と戦い追い払った事、日本無双の勇士だ」
 そして正宗の脇差と感状を渡した。

木村重成の首塚
滋賀県彦根市本町2−3−7の宗安寺にある木村重成の首塚

 重成はありがたく受け取ったあと
「この前の今福の戦いでの活躍は私の武勇によるものではありません。預かった勇士や手兵が命を捨て、後藤基次大野治長、七手組らが粉骨砕身して戦ったので勝利を得ました。どうして重成一人の高名となりましょうか」
 謙遜した後、更に話を続けた。
「また御感状も私は欲しいと思いません。両方(刀と感状)は蔵に預けておいてください。感状は他の大名家に行って古い主人のところでの活躍を証明するものですので、二君に仕える気のない私には必要がありません。もしまた戦いがあって運悪く死んでしまったら、私はあの世での豊臣軍の先手を勤めて、閻魔様に訴え出る役目です。まず感状を受け取ることはないでしょう」
 恐れず申し上げた。秀頼を始めとして満座の諸将は重成の覚悟に感心。
「重成は日本に並びない忠臣だ」
 重成は若いが智仁勇の三つの徳を兼ね備えた名将だと、後世の者も評している。(『難波戦記』)

Copyright (C) 2004 Tikugonokami.