毛利広次

(もうりひろもり)

生没年:1533〜1616年/ 身分:尾張徳川家の家臣/ 官位(通称、号):掃部

八神城跡
岐阜県羽島市桑原町八神にある毛利氏の居城・八神城跡

 名前は広盛とも。毛利広雅の息子。毛利家は源氏の末裔で美濃国中島郡石田村に居を構えていた土豪。広雅は織田信長に味方し1563年に斉藤竜興と戦って戦死した。
 そのため広次が信長に許されて跡を継ぐ。続いて豊臣秀吉にも許されて1584年に3000石余りを与えられた。関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方し福島正則と共に竹ヶ鼻城の杉浦氏を討ち所領を安堵される。慶長年間に居城を同じ中島郡の八神に移した。
 1612年に徳川義直が美濃国内に領地を与えられた際に、義直の家臣となる。大坂の陣では美濃の諸将と共に河内枚方に陣を敷いた。1616年12月14日死亡。法名・雲仙院殿冨林常翁居士。岐阜県羽島市桑原町の金宝寺に葬られた。

参考文献:日本城郭全集・金宝寺でいただいた印刷物

UPDATE 2005年11月4日
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