第六章:建武の新政

【三木一草】京都に上洛した長年は従四位下に叙せられ京都の東の市場を管轄する東市正に任ぜられた。また息子の義高も正五位下左衛門少尉に叙せられ天皇の親衛隊である検非違使に任ぜられた。
 京都の人々は栄進し権勢を振るった名和伯守長年・楠正成・結親光・千忠顕を『三木一草』と呼んで噂した。

【失政】政権を獲った後醍醐天皇だったが、その政治は公正なものとはいえなかった。北条氏の旧領は天皇一族の領地になり、戦功のないものに領地が与えられたり、はては遊女にまで与えられる始末。その逆に戦功のあった赤松円心には恩賞が少ないなど公家に厚く武家に薄かったので武士達の不満は募っていった。

【天皇暗殺計画】1335年6月、西園寺公宗の天皇暗殺計画が発覚する。彼は北条氏と親しかったので建武の親政では没落してしまい、その一族を盛り立てて再び世に出ようとしたのであった。彼は名和長年らに捕らえられた後、処刑されたため計画は未然に防がれた。

管理人・・・ということで長年は大出世しています。彼の官位はちゃんとした源氏の出で幕府を滅ぼした新田義貞よりは低かったものの孤軍奮闘した楠木正成よりも高くいかに天皇のお気に入りだったかが分かります。

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