第二章:世の乱れ

【不満】鎌倉時代末期、世の中は乱れに乱れていた。執権・北条高時は政治に興味をしめさず田楽や闘犬にふけり、重臣の長崎氏や安達氏がほしいままに幕府を動かしていた。それに元寇の乱後の御家人の生活苦が重なり不満を持つ者が増えていた。

【正中の変】それを見た後醍醐天皇は1324年に幕府討伐を計画するが事前にもれたため失敗してしまう。しかし後醍醐天皇はそれでも懲りることなく再び計画をすすめるが、これも密告のため幕府に知られてしまう。
 2度の行動を幕府は許さなかった。六波羅が兵を送ってくると聞いた後醍醐天皇は1331年に笠置山に移り防備を固めた。官軍は山を攻めてくる幕府軍を何度となく撃退し、しかも河内赤坂城の楠木正成や備後の桜山四郎入道などが蜂起したため有利な方向へと進んでいった。しかし9月28日の夜に断崖絶壁である山の北側から幕府軍が侵入し混乱した官軍は落城させられてしまう。
 後醍醐天皇は落ち延びるが有王山で力尽きていたところを幕府軍に捕らえられてしまった。

【隠岐へ】幕府は後醍醐天皇に退位をさせ光厳天皇を即位させた。そして1332年3月、後醍醐天皇は後鳥羽上皇の例に倣って隠岐に流されることとなった。一行は播磨から美作を通って伯耆へ入り出雲の美保関に出てそこから隠岐の島へと渡った。

管理人・・・隠岐の島は山陰からでもむちゃくちゃ遠くて私も一回も行ったことがありません。何しろこの先は竹島という韓国か日本の領土か分からないところですから。住んでいる方には失礼ですが島流しにはぴったりの場所だと思います。

Copyright (C) 2004 Tikugonokami. All rights reserved.