最終章:その後の名和氏

【戦国時代を生きる】八代に移った名和氏はそこに土着し、朝鮮貿易などで栄えたが、1504年頃に相良氏に八代を奪われ、以後は宇土を占領し本拠地とした豪族となる。戦国時代に島津氏が北進してくるとそれに協力したが、1587年に豊臣秀吉が九州征伐をすると降伏し所領を安堵される。しかし当主の顕孝が大坂にいる間に宇土城を任せていた弟の顕輝が肥後国人一揆に加担したため所領を没収されてしまう。

鳥取県西伯郡大山町名和新坪田にある名和神社社殿

【立花家の家臣に】しかし顕孝に対して秀吉が筑前に500町の土地を与えて小早川氏に属させたので家名は存続できた。そして朝鮮出兵にも参加し、豊臣秀次や福島正則などに従うが、正則の与えた5000石では家臣が養えないと断り、筑後国山本郡の千光寺に蟄居して1608年に死亡した。
 その後、息子の長興が柳川城主の立花宗茂と家臣となり柳川藩士となった。明治時代になると建武の忠臣の子孫ということで鳥取県西伯郡大山町に建てられた名和神社の宮司となり、ついで男爵となって現在に至る。

管理人・・・ということで終わりです。

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