第一章:名和氏の始まり

【村上天皇の子孫】名和氏の先祖は村上天皇の第七子具平親王である。そこから9代目の僧侶・常陸房昌明という人物が源義経の伯父である行家を捕まえて恩賞として鎌倉幕府から但馬の多田荘と葉室荘を与えられた。
 昌明はその後、後鳥羽上皇が承久の変を起こした時、鎌倉幕府の側に付き但馬の守護職と多数の荘園を与えられた。そしてその子の行明に何かの功があって伯耆の長田が与えられた。

現在の名和(鳥取県西伯郡大山町御来屋)

【名和姓】元寇の乱の最中、名和氏は山奥の長田では何かの時に不都合があったので、海岸近くの名和に館を移し、姓を地名から取って『名和』と名乗った。
 名和を中心に名和氏は年貢の徴収や海運業(『蔗軒日録』には鰯売りと記してある)、漁業などで財力のある豪族となっていった。

【系図】
村上天皇−具平親王−顕房−季房−忠房−憲房−憲政−豪運−昌運−昌明−行明−行盛−行高−長年−義高−顕興−泰興−顕真−教長−義興−顕忠−武顕−行興−行憲−行直−顕孝…

管理人・・・村上天皇から始まるって話しはちょっと怪しすぎる気がしますが、、、。まあ何にしても名和を中心に豊かな経済力を誇っていたのは間違いないようです。

Copyright (C) 2004 Tikugonokami. All rights reserved.