第19章:伊予侵攻を再開(1583〜1585年)

 1583年冬、長宗我部元親は毛利輝元との関係が悪化すると小康状態だった伊予への攻勢を再び強める。翌年には御荘城を落とし、前回失敗した岡本城も降伏させた。そして遂に同年10月には西薗寺公広の居城・黒瀬城を落として宇和郡を手に入れている。その後、喜多郡に侵攻するが毛利・河野連合軍に阻まれ膠着状態となってしまう。
 東伊予からは讃岐への出兵や毛利氏への備えで攻勢に出る余裕が無かった。
 結局、元親は阿波と讃岐の大半と伊予の半分以上を手に入れるところまで行ったが、四国を平定することは出来ず1585年の四国征伐を迎えることになる。

元親の伊予への再侵攻図
伊予への再侵攻図
UPDATE 2012年7月2日
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