下元興宣(?〜1624年)
官位・通称:与次兵衛
岡式部の子。下元主計の養子。下元氏は陸奥の出と伝わる。
興宣は津野親忠の家臣で高岡郡下分村を与えられていた。朝鮮出兵では陣営を襲った虎を鉄砲で傷を負わせている(とどめは吉田政重が刺している)。その功を長宗我部元親から賞され感状と刀を賜った。
関ヶ原の戦いでは長宗我部盛親に従軍。撤退戦での奮闘を賞され加増された。盛親の改易後は山内一豊に仕え、1624年11月20日に死亡する。
高知県須崎市下分甲に建つ興宣の墓
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