米森元高(?〜1570年)
官位・通称:玄蕃
斗賀野城主。大平氏の分流。1569年、長宗我部元親と一条兼定の間で揺れる高岡郡北部の諸将が土佐松尾(佐川)城に集まり、今後について話し合った。
その際、ほとんど諸将は元親に従うことにしたが、元高一人が反対。
「元親に降れば大平氏の再興は永遠にならない」
そう言い捨てて席を立ち城を去った。
1570年、元親の高岡郡への侵攻が開始。この時、交流のあった福留儀重が元高を説得しようとしたが、やはり「大平氏の再興を約束がなければ降伏しない」と断っている。元親も元高を危険視し「降伏させれば火種が残る」と降伏を許さなかった。
長宗我部の大軍に攻められた斗賀野城は同年11月24日に落城し、元高も戦死している。
元高の名は『土佐物語』以外に無く、存在が疑問視されている。
高知県高岡郡佐川町甲松尾山にある松尾(佐川)城
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