西宗勝(?〜1592?年)
官位・通称:和泉守
土佐陰山城主。西宗澄の嫡子。一条兼定に仕えていたが、長宗我部元親が高岡郡に侵攻してくると降伏し家臣になっている。
朝鮮出兵の際に仁井田五人衆の内、窪川氏・西原氏・志和氏・東氏の四家が出陣することになり、宗勝のみが仁井田庄の守りのため留守を命じられた。その際、四家を見送りに行こうとして大雨で増水した中の越川を馬で無理に渡ろうとしたが押し流されて亡くなっている。
宗勝には三人の息子がいたが家督相続を認められなかったらしく一家は離散している。
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