本山清茂(1508〜1555年)
官位・通称:左近大夫・梅渓
養明の子。通り名は本山梅渓(梅慶)。名は茂宗とも。土佐朝倉城主。父・養明と二代に渡って南進し、高知平野に進出すると中部の拠点として朝倉城を築く。
その後、土佐潮江城主・森氏を駆逐し、1540年には土佐吉良城主・吉良宣直を滅ぼして、西は仁淀川、東は一宮と浦戸までの領地を手に入れ本山氏の全盛期を築いた。1555年2月3日に病死する。
高知県吾川郡いの町枝川八代に建つ清茂の墓

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