香宗我部親秀(1471?〜1559?年)

官位・通称:出羽守
 通長の長男。香宗城主。香宗我部氏は清和源氏の流れを汲む。金剛頂寺の寺奉行を務めた。1526年、安芸元親との戦いで嫡子・秀義が亡くなるという大敗を喫し領地の大半を失う。その後、親秀は弟・秀通に家督を譲り、遷仙と号し隠居した。
 領土を接する長宗我部国親の勢いを増すと、国親の三男・親泰を養子として迎え、香宗我部氏の安定を図る。1559年4月4日死去。
 戦国時代の香宗我部氏の歴史には異説がある。出羽守親秀という人物は、本文で紹介した親秀(通称・右衛門尉)の祖父で、永正年間に死去。跡を息子・茂秀が継ぐが、1526年、安芸元親に攻められ香宗城は落城。茂秀も戦死し香宗我部領を奪われる。
 しかし茂秀の息子・右衛門尉親秀は落ち延び、やがて国親の力を借りて領地を回復。その後、男子のいない右衛門尉親秀は親泰を養子として香宗我部家を継がせたという。

高知県香南市野市町土居にある香宗我部氏の居城・香宗城
香宗城
UPDATE 2011年7月26日
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