池内真武(生没年不詳)

官位・通称:肥前守
 香宗我部氏の重臣で400石を与えられていた。池内氏は長岡郡北部にいた八木氏の後裔だという。香宗我部親秀長宗我部国親の三男・親泰を養子に迎えようとした際、同族の池内玄蕃は安芸氏から養子を迎える魂胆があり反対したが、真武は親秀に同調。親泰の養子縁組が決定すると、真武は玄蕃が邪魔者になると判断し、国親の許可を得て殺害している。
 1569年、長宗我部元親安芸国虎を滅ぼし親泰が安芸城主に命ぜられた際、親泰は安芸姓を名乗ろうとしたが、香宗我部姓を守るため改姓ではなく安芸守を通称とするように進言。親泰は真武の意見を入れ、香宗我部安芸守を名乗った。
 1581〜1582年には元親の指揮下に入り阿波一宮城主となる。長宗我部盛親の改易後、幡多郡に移るが落書のために罰せられたという。

UPDATE 2011年8月10日
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