片岡民部(1586〜1659年)

官位・通称:民部・熊之助
 光政の次男。関ヶ原の戦いで長宗我部盛親が改易されたため、母に連れられ伊予松山に落ち延びる。その後、金毘羅に赴き金光院宥盛の弟子となって真言宗の修行に励んだ。この頃に宥醒(『醒』の字は正確には『日』偏に星)と名乗る。
 大坂の陣が起こると盛親の檄に応じ、還俗して大坂城に入る。大坂落城後は土佐に潜伏。やがて山内忠義からの信頼を得る。1631年、金比羅に戻り多聞院と号して讃岐・土佐の繁栄を願った。
 ※大坂の陣絵巻片岡民部もご覧下さい。

香川県仲多度郡琴平町892−1の金刀比羅宮にある賢木門(長宗我部元親の寄進)
賢木門
UPDATE 2011年10月16日
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