源康政(生没年不詳)

官位・通称:掃部?
 康任の子(孫とも)。康政の家は醍醐源氏を祖とし代々一条家に仕えてきた。若年で当主となった一条兼定の補佐及び京都一条家の意向を反映させるため、京から派遣された付家老のような立場だったと考えられている。
 土佐一条家から発給された文書のほとんどが康政の名義だったことからも権限の大きさが伺える。渡川の戦い後、感状を発給したのを最後に記録から消える。

高知県四万十市江ノ村2491の長法寺に建つ伝・康政の墓
伝・康政の墓
UPDATE 2012年10月11日
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