小松谷公範(生没年不詳)

官位・通称:覚桜
 菊亭季高の次男。菊亭(今出川家)は清華家(公家の家格の一つ。摂家につぐ名門で、大臣と大将とを兼ね、太政大臣にものぼることのできる家柄)の一つ。幼い頃、仏門に入り京の小松谷正林寺で修行したため、還俗後に小松谷を姓とする。
 1533年に親族・玉姫が土佐一条氏に嫁いでいた縁で土佐幡多郡に下向。出家し覚桜と号する。土佐一条氏が長宗我部元親の管理下に入った後も土佐に居住。1579年には元親に招かれ連歌会に出席している。
 源康政と同一人物説があるが、現在は否定説が一般的である。

UPDATE 2012年10月10日
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