一条内政(1562〜1585?年)

官位・通称:左近衛中将
 一条兼定の子。土佐一条氏6代目当主。妻は長宗我部元親の娘(養女とも)。兼定の出家・追放後に当主となる。元親が内政の保護を名目として岡豊城に近い土佐大津城に移したため、大津御所と呼ばれる。
 1581年、表向きは波川玄蕃の謀叛に加担したという理由で追放。しかし実際は元親と対立の度合いを深めていった織田信長が長宗我部氏を土佐一条氏の家臣と見なし戦国大名としての発展を阻害しようとしたため、それに対しての措置だったと思われる。
 その後、内政は伊予法華津に逃れて1585年6月5日に病死したとも、毒殺されたともいう。

高知市大津にある土佐大津城
土佐大津城
UPDATE 2011年12月12日
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