細川勝益(?〜1502年)

官位・通称:三郎・治部少輔・遠江守
 持益の子。土佐田村城主。土佐細川氏は足利幕府の重臣・細川氏の一族で、勝益の祖父・満益の頃から土佐守護代を世襲している。勝益が守護代となった頃の土佐は、応仁の乱の余波で国人達が小競り合いを行ない守護代の力が弱まっていた。
 勝益は土佐国内の統制力を取り戻そうと、曾祖父・頼益の追福のために桂昌寺(細勝寺)を建て伝統の力を誇示した。しかし勝益が1502年6月4日に亡くなり、更に1507年に京で土佐守護・細川政元が殺されると土佐細川氏の権威は失墜。1508年、諸豪族が岡豊城を攻め、土佐は本格的な戦国時代に突入した。

高知県南国市田村1223−1に建つ細勝寺
細勝寺
UPDATE 2012年10月12日
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