久米義昌(生没年不詳)

官位・通称:四郎左衛門
 義広の嫡子。義広は阿波芝原城主で阿波守護・細川持隆の家臣だったが、1553年(1552年とも)に持隆が三好実休に殺されると仇討ちのために同志と共に挙兵する。しかし中富川で実休に敗れ戦死した(鑓場の義戦)。
 義昌は播磨に逃れ赤松則房の世話になっていたが、のちに蜂須賀正勝に仕え、四国征伐に従軍。一宮城の攻防戦で、城の構造に精通していた義昌は水の手を教え勝利に貢献している。

徳島市国府町東黒田にある鑓場古戦場跡
鑓場古戦場跡
UPDATE 2012年8月7日
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