安芸弘恒(1557?〜1582?年)

官位・通称:飛騨守・彦左衛門・十太夫
 安芸国虎の長男。名は重宗とも。幼名・千寿丸。安芸落城時、阿波に逃れて三好家の家臣・矢野備後の娘を妻とし彌の矢野又六と名乗ったとも、赤沢信濃守の婿もしくは家臣になったともいう。中富川の戦いで戦死。
 戦後、大友宗麟を頼って豊後に逃れたという説と、阿波で帰農し1637年5月21日に死亡した説がある。

徳島県板野郡板野町犬伏蔵佐谷にある弘恒の墓
安芸弘恒の墓
UPDATE 2011年5月7日
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