世良修蔵の招魂碑(周防大島)

●世良修蔵の招魂碑
住所:山口県大島郡周防大島町椋野(字 久保田)
駐車場:なし

 世良修蔵(天保6(1835)年~慶応4(1868)年)は、周防国大島郡椋野村(現在の山口県大島郡周防大島町椋野)の中司家に生まれ、周防の内外で兵学や語学などを学んだ。
 慶応2(1866)年に四境戦争が始まり、周防大島が幕府軍に奪われると、第二奇兵隊に入隊し、軍監に昇進していた修蔵は郷土奪還のために戦う。鳥羽・伏見の戦いでも活躍し、新政府により奥羽鎮撫総督参謀に任命された。会津藩の処分を巡って東北諸藩と対立し、仙台・福島藩士の集団に捕まり、斬首される。
 招魂碑は明治15(1882)年、椋野の久保山の世良家墓所に建てられた。陸軍中将兼参議・内務卿議定官の山田顕義が篆額を、内閣権少書記官・正七位の岡守節が書を、常陸の加藤熙が撰文を担当した。

世良修蔵の招魂碑

世良修蔵の招魂碑

世良修蔵の招魂碑

参考文献:世良修蔵、山口県久賀町誌、現地の案内板、周防大島町公式サイト「四境の役・大島口の戦い」戦跡&史跡ガイドマップ

感想:荒れており今は顧みられてないような感じでした。