●茂兵衛堂
住所:山口県大島郡周防大島町椋野
駐車場:なし
中務茂平衛(弘化4(1847)年~大正11(1922)年)は、椋野地区の中司家に生まれた。19歳の頃、好きな女性と結婚しようとしたが父に反対され、柳井市の遊郭に入り浸るようになる。その後、理由は不明だが四国に渡り、四国八十八ヶ所霊場を280回巡礼した。茂平衛は「生き仏」と慕われ、四国八十八ヶ所霊場の寺から住職になってほしいと頼まれたが、それを断っている。
昭和58(1983)年、地元の人々を中心に寄付が集まり、茂兵衛堂が建立された。そして4月24日、香川県の善通寺の管長(神道や仏教で一宗一派を管理・統括する最高責任者)を招いて開眼法要が行われた。
なお、茂平衛は奇兵隊で活躍した世良修蔵と従兄弟にあたる。遊郭に入り浸っていた時期に修蔵から諭され、霊場巡りを始めたという話も伝わっている。
参考文献:ふるさと椋野、弘法大師と共に、現地の案内板
感想:世良修蔵の招魂碑に行く途中、あったので参拝しました。
お堂を開けると大きな弘法大師の像と茂平衛さんの写真や位牌があったそうです。