出羽丸岡城(加藤忠廣の居館)

住所:山形県鶴岡市丸岡字町の内6

 716年に越前丸岡から移住した住民によって丸岡という地名が付いたという。丸岡城は大鳥口、六十里越口を押さえる要衝で、武藤氏(大宝寺氏)の支城として戦国時代初めに築城されたと推測されている。
 武藤氏滅亡の後は庄内を支配した上杉景勝、最上義光の城となったが1615年の一国一城令で廃城となった。1622年、最上氏が改易され酒井氏が庄内藩主となると当地も酒井氏の支配を受ける。
 1632年、肥後熊本54万石を改易された加藤清正の息子・忠廣が酒井氏に預けられ丸岡1万石を堪忍分として与えられると、酒井氏は丸岡城跡に忠廣のための居館を建てた。忠廣没後、建物は藤島に移され参勤交代の際の休憩所になっている。
 1989~2007年の発掘調査が行われ、その結果をもとに2010年に礎石の復元など整備され丸岡城史跡公園となる。

(城址碑)

(大手門跡)

(水路跡)

(御城稲荷)

(堀と土塁)

(石敷道路)

(御書院跡)

(忠廣が両親を仮に埋葬した太夫石・巫女石)

(御居間跡)

感想:ご覧の通りしっかりと整備されており、パンフレットも園内の無人案内所にありました。


写真の提供についてはこちらをクリック


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA