筑後守 について

過去の著書 ○もっと知りたい! 長宗我部元親 ○戦国武将の意外な関係 ○「戦国合戦」 意外・驚きエピソード ○大坂の陣・なるほど人物事典

光西寺(石山合戦ゆかりの寺)

●光西寺
住所:島根県浜田市旭町市木2453

 浄土真宗。関東の侍・石橋尹範が娘を失い悲観していたところ、蓮如と出会い出家し正誓と号した。そして文明3(1471)年に当寺を創建したという。しかし後述する内容と時代が合わないため、この伝承には疑問が残る。
 正誓は石山合戦が始まると石見で戦線への協力と兵糧の調達に奔走したという。天正8(1580)年、石山合戦が終わると真言宗だった光西寺を浄土真宗に改め布教に努めた。正誓の弟・石橋政俊は北条氏政に仕え、天正10(1582)年の神流川の戦いに参加したという。二世で正誓の息子である空徳の妻は吉川広家の家臣・冨永直家の娘で、三世・了玄の妻は本城常光の娘だという。

(山門)
山門

(本堂)
本堂

感想:蓮如と出会って寺を創建するなら最初から浄土真宗だと思うので、以前からあった寺の住職になったのでしょうか。様々な疑問が残る伝承です。
山陰の戦国史跡を歩く 島根編』に載せる予定でしたが、割愛した寺です。





防己尾城(羽柴秀吉軍を苦戦させた城)

●防己尾城
住所:鳥取県鳥取市金沢

 防己尾は「つづらお」と読む。吉岡将監の居城で羽柴秀吉軍を撃退したことで知られる。

(全景)
全景

(最初は駐車場から南西の遺構を散策)
駐車場

(南西は土塁、土橋、竪堀がしっかりと残っていた。虎口は土塁を壊して道を通したのだと思われる)
南西の遺構

南西の遺構

南西の遺構

南西の遺構

南西の遺構

南西の遺構

南西の遺構

南西の遺構

(西にある主郭に到着。碑と説明もある)
主郭

主郭

主郭

(北東に突き出した曲輪)
北東

(城は三方に湖山池がある。この船着き場(?)はもっと深く今の駐車場の辺りまで入り込んでいたと思われる。敵は東西の曲輪から狙いたい放題だな)
北東

湖山池

湖山池

湖山池

(東の曲輪群)
東の曲輪群

東の曲輪群

東の曲輪群

東の曲輪群

東の曲輪群

感想:歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編』を参考にしてください。

(ルートマップ)
ルートマップ





「第2回 法勝寺電車廃線跡ウォーク」に参加してきた

 2021年10月2日(土)に開催された「第2回 法勝寺電車廃線跡ウォーク」に参加してきた。参加したコースはAコース(米子~法勝寺全線コース約15km)。

(スタートとなる元町パティオに展示してあるフ50号。イギリス製で日本最古の客車だそうな)
フ50号

(線路を渡って住宅街を進むと法勝寺鉄道始発駅だった米子市駅跡に着いた。うーん、何もない)
線路

米子市駅跡

(それから南に向かって廃線跡に沿って歩く。こんな上の方を走っていたのだな。あと昔の牛馬道を利用して線路を敷いたのかな)
廃線跡

廃線跡

廃線跡

廃線跡

(鳥取県米子市長砂町の長砂駅跡に到着)
長砂駅跡

長砂駅跡

長砂駅跡

(続いて宗形神社前駅跡に到着。宗形神社は尼子晴久が再建して吉川元春が桃型兜の奉納したことで有名である。近くにある三日月商店で激辛ラーメンの尼子心中が食べたくなった)
宗形神社前駅跡

宗形神社前駅跡

宗形神社前駅跡

宗形神社前駅跡

(今回のイベントとは関係ないが、これが吉川元春が奉納した桃型兜である)
桃型兜

(安養寺駅跡に到着。安養寺は後醍醐天皇の皇女・璋子内親王が開基した。今回、安養寺には参拝していない)
安養寺駅跡

安養寺駅跡

安養寺

安養寺

(安養寺駅跡から尚徳方面に向かって法勝寺川沿いを歩く。ここも廃線跡)
法勝寺川沿い

(農協の米子南支所の前に立つ青木駅跡の駅名標に到着。青木遺跡が有名だけど行ったことがない。この先の尚徳公民館で早い昼休憩をした)
青木駅跡

(約1時間後、出発。線路跡を見ながら次の目的地を目指す)
線路跡

線路跡

(米子市大袋にある大袋駅跡の駅名標に着いた。奥に見えるのは正雲寺。出雲尼子氏の祖・尼子持久の開基で、尼子勝久の弟・通久(田子甚左衛門)と関係があったようだが、寺伝の内容の理解ができなかった)
大袋駅跡

正雲寺

正雲寺

(廃線跡で一番有名な遺構、法勝寺川橋梁跡)
法勝寺川橋梁跡

(米子市を過ぎて南部町の旧会見町地区に来た。大山が綺麗)
大山

(南部町天萬の手間駅跡に到着。近くには杉原盛重の供養塔が建つ大安寺がある。ここも今回は参拝はしていない)
手間駅跡

大安寺

大安寺

(線路跡の切り通しを通過。この切り通しから大山が綺麗に見えた)
切り通し

切り通し

(切り通しの先にある線路跡。この辺りから旧西伯町地区になる)
線路跡

線路跡

(南部町清水川にある天津駅跡。天津は「あまつ」と読み、この辺りは天津地区と呼ばれている)
天津駅跡

天津駅跡

(南部町阿賀にある阿賀駅跡。ここで地元の方、お二人の説明を受ける。一人目の話を二人目が聞いていないので同じ話を二度聞くことになった。お年寄りにありがちな光景だ。1枚目の写真の向かって左から右奥にある道路が線路跡)
阿賀駅跡

阿賀駅跡

(次の駅跡に行く途中で賀茂神社の前を通る。この参道の間を法勝寺電車が走っていた。賀茂神社は尼子経久の崇敬が篤かったと伝わる)
賀茂神社

賀茂神社

(西伯病院の前にある大国駅跡に到着。ゴールまであと少し)
大国駅跡

(さらに線路跡を歩くと終点・法勝寺駅跡に到着。今の西伯郵便局の辺りに駅舎があったらしい。高齢男性が若い女性二人を駅名標の前で記念撮影をして確認してもらった後に言われた「いい感じに撮れてます」の「いい感じ」を高齢男性が理解できていなかった風なのに世代の差を感じた)
法勝寺駅跡

法勝寺駅跡

法勝寺駅跡

(その後は近くの「キナルなんぶ」に移動。デハ203号や資料館を見て、グラニータというカキ氷(二十世紀梨のシャーベット)を食べた。そして迎えのバスに乗って米子市まで戻る)
デハ203号

資料館

資料館

グラニータ

感想:鉄道遺構に詳しくないので、一人ではできない貴重な体験をさせてもらった。15キロは1日の散歩としてはちょうどいい距離だったと思う。