高野山奥之院の五輪塔4 最上家親の墓(供養塔)

●高野山奥之院の五輪塔4 最上家親の墓(供養塔)
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山(字 奥ノ院(原文ママ))
駐車場:入口にあり

 高野山での菩提寺は北室院。最上家親(天正10(1582)年~元和3(1617)年)は最上義光の次男で、義光の跡を継いで出羽山形藩2代藩主となる。大坂の陣に参陣した。

五輪塔の正面には下記の通り刻まれている。
出羽国太守最上駿河守殿
源朝臣家親追薦也
    奉為盛廣院殿
(梵字ア) 安景長公大禅定門
    成等正覚
施主孝子最上源五郎朝臣
家信造立之 元和三年三月六日

最上家親

参考文献:戦国武将と高野山奥之院: 石塔の銘文を読む

感想:ご存じの通り家親没後、御家騒動(最上騒動)が起きて最上家は出羽山形57万石から近江大森1万石(のちに5000石)に大減封されています。