血畑の石碑(八木但馬守豊信入道宗松の供養碑)

●血畑の石碑(八木但馬守豊信入道宗松の供養碑)
住所:八頭郡若桜町屋堂羅
駐車場:なし

 但馬の守護・八木豊信は但馬を追われて妻子と共に因幡に来たが、畑で追っ手に見つかってしまう。豊信は畑から飛び降りて逃げようとしたが斬られてしまった。その切れ味が見事で絶命した後もしばらく立ったままだったという。妻子は岩に隠れていたが追っ手が辺りを槍で突き刺しながら探し回った。結局、追っ手は諦めて去ったが、子の背中には突き傷があったという。天正10(1582)年10月12日のことだった。
 豊信の無念のためか亡くなった畑では作物が育たず荒れ地になっていた。大正15(1926)年、後裔の三島元蔵が供養碑を建立している。
 現在は屋堂羅地区の道路改修のため諸鹿地区に移動され、廃石と一緒にしてある。一応、保護してあるとはいえ、半ば放置のような状態である。

(石碑のある廃石場)
石碑

(石碑はこのように保護してある。上部にヒビが入っているらしい。戒名は「随林院殿仙岳宗松大居士」。早く然るべき場所に設置されるとよいのだが…)
石碑

感想:屋堂羅は「やどら」と読むそうです。
 八木豊信は但馬の守護ではなく山名氏の家臣で、第二次鳥取城攻防戦の際に若桜鬼ヶ城を守り切れず落ち延びています。その後は薩摩の島津氏の右筆になったという説が有力です。
 現場までは全面通行止めだったが許可をもらって通してもらいました。ただし倒木や落石、倒れかかった電柱などがあって危険ですし、碑が見られるわけでもないので行かない方がいいです。下の地図は現在、安置してある場所です。




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