小泉友賢の墓(因幡民談記の著者)

●小泉友賢の墓
住所:鳥取県鳥取市覚寺
駐車場:摩尼寺の駐車場を利用

 小泉友賢(元和8(1622)~元禄4(1691)年)は、備前岡山藩の藩医・俊玄の次男として生まれた。11歳のとき、国替えにより鳥取へ移住する。塾では当初、物覚えが悪かったが努力でそれを補い、塾師を感嘆させるまでに成長した。20歳で京都と江戸で勉学に励み、帰国後に藩医となる。
 病のため致仕した後は因幡国内を散策し、古文書など史料を集め「因幡民談記」を完成した。元禄4(1691)年に70歳で亡くなる際、「遺体は摩尼の山中に埋めて墓碑は不要」という遺言を残した。しかし、友賢の息子・俊益は、父が忘れられるのを忍びなく思い墓を建てた。

(亀台に安置してある友賢の墓)
小泉友賢の墓

小泉友賢の墓

参考文献:小泉友賢先生、因伯の医師たち 改訂版、因幡の摩尼寺、いなば・ほうきの墓碑めぐり

感想:「因幡民談記」と「稲葉民談記」のどちらが正しいのでしょうか。
 後裔の方は京都府にお住まいのようです。