●塚の宮(塚宮神社跡。船上神社)
住所:鳥取県西伯郡大山町大塚(字 上乗リ来リ)
駐車場:なし
元弘3(1333)年の初夏、気品のある女性が大塚(字 大雀)の地に上陸したのを、地元の五郎太夫が見つけ近寄った。
「自分は後醍醐天皇の女官で天皇にはお供させてもらえなかったため商船に乗って連れてきてもらった。天皇は伯耆にお着きになった後、どうされたか」
「船上山での戦いに勝利し京都に御遷幸された。あなた様が京都に戻られるまでの間、うちで休んでいって下さい」
「そなたの厚意に対して家名を与えよう。長く藤の蔓が延び栄えるように遠藤と名乗るがいい」
しかし女官は長い航海のためか日に日に衰弱し、26歳という若さで亡くなってしまった。その後、石を集めて塚として女官を葬った。だが村人が石を持ち去ると女官が霊としてさまよい祟りがあったため、塚の宮聖御前(聖大明神)として祀ったという。
明治元(1868)年、現在の社名に改めた。大正5(1916)年、押平神社(大山町押平)に合祀されている。現在、跡地には祠が祀られている。
敷地内には船上神社が建っている。幕末、外国からコレラが入ってきて日本中で流行した。大山町に残る記録でも「安政5年(1858)秋、不吉の前兆とされた帚星が現れ、コロリと申す疫病が流行し米子や淀江で多数の死者が出た」とあり、コレラ(通称・虎将軍)を撃退するため琴浦町の船上山に祀られている船上神社を勧請する。これは狼が船上神社の神の使いで、狼は虎より強いと信じられていたためである。
この狼信仰は琴浦町、大山町、米子市で見られコレラ、赤痢、チフスなど疫病が流行った際、狼(地元ではオオカミさん、オオカメさん)の礼拝物を船上神社から背負って勧請し疫病の沈静化などの願いが叶えば返還したという。稲の虫(イナゴやウンカか?)や西瓜泥棒の駆除退散にも御利益があると信じられていた。
(全景。いかにも神社がありそうな雰囲気で地元では塚の宮さんと呼ばれている)
(境内。近所の燈籠などが無造作に集められているように見えるが・・・)
感想:大雀の由来は天皇の関係者が休まれたので「王涼み」と呼ばれた、清水を飲まれたので「王清水」と呼ばれた、などの説があります。
参考文献:鳥取県の地名、名和町誌、鳥取県神社誌、ふるさとを探ろう、大山北麓の民俗