●真子神社(しんじじんじゃ)
住所:鳥取県西伯郡大山町東坪366(字 下柳谷)
駐車場:不明
祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)などである。創建年代は不明だが東坪地区の産土神として祀られている。言い伝えによれば、古社で、かつて73石の社領を有していたが、戦国時代に毛利氏と尼子氏の戦いの兵火によって焼失したとされる。
寛永年間(1624~44年)以降は鳥取藩主・池田家の崇敬を受け、幕や提灯などを寄進された。宝暦年間(1751~64年)からは藩主の命で毎年、五穀豊穣と国家安全を祈祷し、神札を伯耆国内に配布することを許可されている。明治元(1868)年、真子大明神から真子神社に改称した。
東に約900メートル進んだ「ひかり館」の横には、圃場整備竣工記念碑がある。その中に大きな岩があり「真子大明神腰掛の岩」として伝わっている。神話によると、経津主命と武甕槌命が国譲りを大国主命(おおくにぬしのみこと)に迫り、国を賭けて大国主命の息子の建御名方命(たけみなかたのみこと)と武甕槌命が力比べを行った。結果、武甕槌命が勝利したが怪我を負い、東坪の浜まで来て経津主命が腰掛けていた岩に腰を下ろして休息したという伝説が残る。
その後、この岩の周辺に武甕槌命を祀る武大明神が建立されたが、前述の通り焼失し、現在地に移されたと伝えられている。この岩はかつて光徳小学校跡の南にあったとされるが、圃場整備の際に移動された。
(北側から参拝。入口、参道、鳥居、随神門、狛犬。思っていたより結構広い)
(手水舎、拝殿、本殿。南から車が入れそうだったが・・・。駐めてよいのか不明)
(ここからはおまけ。近くの光徳小学校跡を見てみた。縦長の鉄塔は忠魂碑で、このタイプは同じ大山町の御来屋とここしか見たことがない。忠魂碑に詳しくないので他の地域にもあるのかもしれないが・・・。昭和元(1925)年に建てられたが、あとで大東亜戦争の戦死病没者の名前も加えられている)
参考文献:鳥取県の地名、ふるさとを探ろう第一集、名和町誌、名和町内遺跡詳細分布調査報告書(1983年)
感想:武甕槌命腰掛けの岩が変わった伝承だったので参拝してきました。
光徳小学校跡は縁も所縁もないですが門だけしかないと哀愁を感じますね。掲載していないですが創立記念碑も残っていました。