伯耆 御冠山(羽柴秀吉陣所跡?)

●伯耆 御冠山(羽柴秀吉陣所跡?)
住所:鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内

 天正9(1581)年10月下旬、鳥取城を落とした豊臣秀吉は伯耆に侵攻し御冠山に陣取ったと伝わる。

(伯耆一ノ宮経塚から登る)
入口

(下の地図の①の辺り)
①の辺り

(②付近)
②の経塚付近

②の経塚付近

②の経塚付近

(経塚。下照姫命の墳墓と伝わっていた場所から大正4(1915)年に銅製の経筒などが見つかった)
経塚

(経塚付近。曲輪のようだが経塚があるなら寺跡かも)
経塚付近

経塚付近

(東が藪だったので谷に降りてぐるっと回り③に到着。三十三霊場だったと思うが石仏があった)
石仏

(③付近。削平してあり、堀か帯曲輪のようなものがあった。ここから先はなだらかな坂になっており時々、削平地や堀のような場所があるという感じだった)
③付近

③付近

③付近

(④付近。削平してあった)
④付近

④付近

④付近

(⑤付近。ここも自然地形では無さそう)
⑤付近

⑤付近

⑤付近

⑤付近

⑤付近

(⑥付近)
⑥付近

⑥付近

⑥付近

⑥付近

(⑦。ここだけ陽が当たるため藪になっていた。最初はここを避けて遠回りしたが結局は通らないといけなくなった)
⑦

(⑦と経塚の間には堀があった。近代になってから造った道にも見えるが・・・)
堀

堀

堀

堀

感想:地元の調査に加わらせてもらいました。秀吉が陣を構えたにしては小規模でしたので、神宮寺の跡ではないかなどの意見がありました。
 歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 鳥取編』を参考にしてください。

(国土地理院地図を加工・編集。クリックすると別タブが開きます)
地図