●巡洋艦春日の砲門(戦没者の慰霊塔)
住所:鳥取県西伯郡大山町所子
駐車場:なし
大正11(1922)年9月、帝国在郷軍人所子村分会長の松田大蔵が代表となって忠魂塔として廃砲と砲弾を譲り受けたいと海軍大臣の加藤友三郎に陳述した。これを海軍艦政本部が許可し舞鶴にあった巡洋艦・春日の四十口径十五糎(cm)砲身を一門と二十糎弾丸四個を無償で渡すことを約束している。
大正12(1923)年春、砲身を舞鶴から貨物列車に乗せてもらい、帝国在郷軍人所子村分会は末長踏切りに3分間だけの停車の約束を取り付け(現在の大山口駅のある地区。この頃は駅ができる前だった)レールとソリで現在地まで運んで10月には忠魂塔を完成させた。記念式典では地元住民の仮装行列や軍人たちの銃剣術大会などが行われ盛況だったという。
太平洋戦争後、忠霊塔の文字を慰霊塔と書き替えた。平成26(2014)年頃になると老朽化のため倒壊する恐れがあり撤去の話もあったが、その後、横にすることで倒壊する心配がなくなり撤去を免れている。
(平成26(2014)年の慰霊碑。古い砲身がこのように立っていては近隣の住民は不安だったであろう)
(平成29(2017)年の慰霊碑。安全にはなったが鉄なので何時まで保つのだろうか)
参考文献:国立公文書館 アジア歴史資料センター、大山町誌、現地の碑文
感想:巡洋艦・春日は日本海海戦などで活躍したのだそうです。