●橋津台場跡
住所:鳥取県東伯郡湯梨浜町長瀬
駐車場:あり
国指定史跡。橋津川の西の海岸沿いにあり日本海に浸食され北側が消失しているいる。
幕末、外国船が日本近海に現れるようになったため鳥取藩も防備を固めるため台場を築こうとした。しかし財政難のため計画が進まない。文久3(1863)年、大阪の天保山砲台を警固していた鳥取藩士が英国船を砲撃。報復を恐れた鳥取藩は吉村又兵衛らを責任者として橋津台場を築き、六尾反射炉(鳥取県東伯郡北栄町六尾)で製造された18斤砲、6斤砲、3斤砲、5寸径砲各1門の大砲が備え付けた。
長瀬の大庄屋・戸崎久右衛門ら10名が取締役となって総勢141名が守備にあたる。明治4(1871)年、明治政府が封印したことにより実戦を経験しないまま役目を終えた。現在は橋津お台場公園として整備されている。
(幕末、因幡二十士が橋津から脱出して長州に向かったのを記念して建てられたらしいが来航と刻んであるから美保関から戻ってきた時のことだろうか。幕末に詳しくないから分からん)
(日本海と台場。日本海によって台場の1/3が浸食されたらしい)
参考文献:鳥取県の地名、現地の案内板、とっとり文化財ナビ
感想:北側以外は土塁が良好な状態で残っています。さすが台場王国・鳥取県。