平の五輪塔(河原山城主の墓?) 投稿日時: 2014年8月30日 投稿者: 筑後守 住所:鳥取県西伯郡大山町平 年代などは不明だが地域の伝承によると城主の墓と伝わる。近くには河原山城があり、天正13(1585)年の河原山城の戦いの際に城を守った福頼元秀か福頼藤兵衛の墓ではないかと思われるが詳細は不明である。 (東から見た五輪塔) (南から見た五輪塔。こちらが正面のようだが…) 感想:場所が分かりづらく、近くの仁王堂公園から斜面を上り下りしてやっと辿り着きました。
松原さん 福頼氏は西伯耆全体にいて良く分からないところがありますねえ…。私が山陰の歴史に疎いのもありますが。公民館のお墓は聞いたことがあります。淀江町は小さな五輪塔があちこちにありますよね。河原山城の戦いや尼子再興戦に関係するものもあると何か読んだ記憶があります。 返信 ↓
福頼氏について 福頼氏の墓は淀江町福頼の公民館の前にもあります。子孫の松原がお世話させてもらってます。淀江町西尾原での戦いで討たれたと言い伝えられてます。上淀の松原と福頼の松原は一族で福頼氏の子孫です。本家になる家は淀江 精明寺のカイサンドウに上淀と福頼の松原が1つずつ祭ってあります。 返信 ↓
松原さん
福頼氏は西伯耆全体にいて良く分からないところがありますねえ…。私が山陰の歴史に疎いのもありますが。
公民館のお墓は聞いたことがあります。淀江町は小さな五輪塔があちこちにありますよね。河原山城の戦いや尼子再興戦に関係するものもあると何か読んだ記憶があります。
福頼氏について 福頼氏の墓は淀江町福頼の公民館の前にもあります。子孫の松原がお世話させてもらってます。淀江町西尾原での戦いで討たれたと言い伝えられてます。上淀の松原と福頼の松原は一族で福頼氏の子孫です。本家になる家は淀江 精明寺のカイサンドウに上淀と福頼の松原が1つずつ祭ってあります。