住所:鳥取県八頭郡智頭町篠坂
正平7(1352)年、波多野氏は古海郷を侵略した因幡守護代・杉田弾正を討伐した功で高平城を与えられたという。その一族が丹波守で水無城主となった。『因幡誌』には応仁の乱後に波多野秀国という人物が智頭・八上郡に移ったと記載がある。その末裔が丹波の波多野氏の養子になり丹波八上城主となったのが波多野秀治だというが信憑性は低い。
因幡の波多野氏は戦国時代に没落したが、波多村(同町波多)を開拓したことで崇敬され水無城趾には江戸時代まで丹波守を祀る波多野荒神の祠があった。しかし明治元(1868)年に鳥取藩が怪しい神を信仰するのを禁止したため、当地に移されたという。
(手前は見ての通り、最近建てられた供養塔。後ろの右側が丹波守で左側は妻か子だろうか?)
感想:篠坂のバス停の後ろに建っています。
『禁止したため、当地に移された』の意味が分かりませんでした。壊された後、当地に再建されたのでしょうか。