2021年10月2日(土)に開催された「第2回 法勝寺電車廃線跡ウォーク」に参加してきた。参加したコースはAコース(米子~法勝寺全線コース約15km)。
(スタートとなる元町パティオに展示してあるフ50号。イギリス製で日本最古の客車だそうな)
(線路を渡って住宅街を進むと法勝寺鉄道始発駅だった米子市駅跡に着いた。うーん、何もない)
(それから南に向かって廃線跡に沿って歩く。こんな上の方を走っていたのだな。あと昔の牛馬道を利用して線路を敷いたのかな)
(続いて宗形神社前駅跡に到着。宗形神社は尼子晴久が再建して吉川元春が桃型兜の奉納したことで有名である。近くにある三日月商店で激辛ラーメンの尼子心中が食べたくなった)
(今回のイベントとは関係ないが、これが吉川元春が奉納した桃型兜である)
(安養寺駅跡に到着。安養寺は後醍醐天皇の皇女・璋子内親王が開基した。今回、安養寺には参拝していない)
(安養寺駅跡から尚徳方面に向かって法勝寺川沿いを歩く。ここも廃線跡)
(農協の米子南支所の前に立つ青木駅跡の駅名標に到着。青木遺跡が有名だけど行ったことがない。この先の尚徳公民館で早い昼休憩をした)
(米子市大袋にある大袋駅跡の駅名標に着いた。奥に見えるのは正雲寺。出雲尼子氏の祖・尼子持久の開基で、尼子勝久の弟・通久(田子甚左衛門)と関係があったようだが、寺伝の内容の理解ができなかった)
(南部町天萬の手間駅跡に到着。近くには杉原盛重の供養塔が建つ大安寺がある。ここも今回は参拝はしていない)
(線路跡の切り通しを通過。この切り通しから大山が綺麗に見えた)
(切り通しの先にある線路跡。この辺りから旧西伯町地区になる)
(南部町清水川にある天津駅跡。天津は「あまつ」と読み、この辺りは天津地区と呼ばれている)
(南部町阿賀にある阿賀駅跡。ここで地元の方、お二人の説明を受ける。一人目の話を二人目が聞いていないので同じ話を二度聞くことになった。お年寄りにありがちな光景だ。1枚目の写真の向かって左から右奥にある道路が線路跡)
(次の駅跡に行く途中で賀茂神社の前を通る。この参道の間を法勝寺電車が走っていた。賀茂神社は尼子経久の崇敬が篤かったと伝わる)
(さらに線路跡を歩くと終点・法勝寺駅跡に到着。今の西伯郵便局の辺りに駅舎があったらしい。高齢男性が若い女性二人を駅名標の前で記念撮影をして確認してもらった後に言われた「いい感じに撮れてます」の「いい感じ」を高齢男性が理解できていなかった風なのに世代の差を感じた)
(その後は近くの「キナルなんぶ」に移動。デハ203号や資料館を見て、グラニータというカキ氷(二十世紀梨のシャーベット)を食べた。そして迎えのバスに乗って米子市まで戻る)
感想:鉄道遺構に詳しくないので、一人ではできない貴重な体験をさせてもらった。15キロは1日の散歩としてはちょうどいい距離だったと思う。