八王子城(御主殿の滝・北条氏照の墓)

住所:東京都八王子市元八王子町3丁目

 北条氏照が1584~1587年頃に築いたという説が有力である。城が未完成のまま小田原征伐が始まり、前田利家・上杉景勝らの軍勢に1日で落とされた。
 現在は国の史跡に指定されている。

(入り口。日本百名城と刻んであるから最近建てられたのであろう)

(トイレの近くに建っていた城趾碑)

(城趾碑近くの南側の階段を降りて御主殿跡を目指す。最初にあったのが大手門跡。道は御主殿跡に続く大手道)

(曳橋。当時は簡単な木橋が架かっており、非常時には壊して敵の侵入を防いだ)

(正面から見た曳橋。当時はこの3分の1ほどの幅しか無かったという。橋の向こうに見えるのが御主殿跡)

(石垣)

(虎口)

(冠木門。当時の復元ではない)

(御主殿跡。南北40メートル・東西90メートルの広さで石垣が土塁に囲まれている。生活用品や武具は発見されたが、瓦が一枚も見つからなかったため板葺きの建物があったと考えられている)

(御主殿の滝。落城の際に城兵や婦女子が自刃して身を投げたため、三日三晩赤く染まったとの伝承がある)

 御主殿跡から本丸には直接行けないので、一回、城趾碑やトイレのある所まで戻ってそこから改めて登山。

(小田原征伐の際に近藤出羽守が守備したあしだ曲輪)

(あしだ曲輪跡に建っている福善寺の観音堂)

(小田原征伐の際に金子家重が守備した金子丸。今は本丸まで別の道もあるが当時はここを通る道しか無かった。この南側に遺構があったようだが見逃してしまった)

(柵門台)

(中の曲輪に建つ八王子神社。913年、修行中の僧の前に牛頭天王と八王子権現が現れたため、麓に八王子権現を祀った蓮華院を創建している。この伝承から氏照は城内に八王子権現を祀る当社を建てた。八王子という地名はこの権現の伝承から来ている)

(小田原征伐の際に中山家範が守備した松木曲輪。家範は前田利家の軍勢相手に奮戦したが防ぎ切れず戦死した。その勇戦を聞いた徳川家康が遺児を召し抱えている)

(小田原征伐の際に横地吉信が守備した本丸跡。当時、城主の氏照は小田原城にいて不在だった)

(北条氏照の墓(中央)。1689年、氏照の百回忌に旧臣・中山家範の孫で水戸藩の付家老だった信治が建てた。右は家範の墓、左は信治の墓)

感想:土日祝のみ高尾駅から入り口までバスが出ています。平日でもバスで八王子城跡入口の信号までは行けますが、そこから結構歩きます。まあ、そこからの登山に比べたら大したことはないですが…。
 そういえば中世の関東の城で石垣があるのを見たのって、ここが初めてかも。


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