●阿波 吉田城1
住所:徳島県海部郡海陽町吉田
駐車場:不明
遺構:曲輪、土橋、土塁、井戸跡
標高:122メートル/比高:107メートル
町指定史跡。吉田本城は山尾根の先端に築かれており、東側には海部川が流れている。西の山頂には「城の腰」と呼ばれる詰めの城・吉田城1がある。北には海部川を監視する目的で築かれたと考えられる吉田城2がある。三つの城郭を総称して吉田城と呼ばれている。
天正3年(1575)、長宗我部元親が阿波に侵攻すると吉田城は開城し、元親の家臣・北村閑斎が入城した(『土佐物語』『阿波志』)。天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国攻めで長宗我部軍が土佐に撤退すると吉田城は廃城となったとみられる。
(吉田本城の横堀から谷に下って登山道に沿って登ると土橋が出てくる。場所は下にスクロールすると出てくる概略図を参照。他にも登山道があるようだったが確認していない)
(尾根を登ると出てくる曲輪4。土塁と井戸跡らしき遺構があった)
(曲輪4の一段上にある曲輪5。曲輪4~6の主郭部の中ではもっとも広い。ここも土塁があった。吉田本城と同じく最近建てられた城址碑もある。裏に回って日付を見たら平成26(2014)年に建てられたものだった)
(南西に土橋があり、そこを越えると最も高い位置にある曲輪6に出る。櫓台跡に見えたが)
参考文献:徳島県の地名、三好一族と阿波の城館、土佐物語、海部郡誌、徳島県海部郡川西村史、海部のふるさとマップ
感想:下山後に地元の方と話した際、吉田城には猿が群れでいて降りて来ては西瓜などを食べるらしいです。城でも遭う可能性があるので気をつけて下さい。曲輪6には城満寺からも行けるらしいですが試してません。
吉田城2も行きたかったのですが縄張図を忘れ、登り口も調べていなかったため諦めました。