●阿波 吉田本城
住所:徳島県海部郡海陽町吉田
駐車場:不明
遺構:曲輪、土塁、横堀、竪堀
標高:40メートル/比高:28メートル
町指定史跡。吉田本城は山尾根の先端に築かれており、東側には海部川が流れている。西の山頂には、「城の腰」と呼ばれる詰めの城の吉田城1がある。北には海部川を監視する目的で築かれたと考えられる吉田城2がある。三つの城郭を総称して吉田城と呼ばれている。
古くは海部郡の郡司の居館があったと推測されている。伝承によればその後この地を支配した海部氏が城主であったが、『阿波志』によると戦国時代には吉田庸俊が城主であったという。天正3年(1575)、長宗我部元親が阿波に侵攻すると吉田城は開城し、元親の家臣・北村閑斎が入城した(『土佐物語』『阿波志』)。天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国攻めで長宗我部軍が土佐に撤退すると吉田城は廃城となったとみられる。
吉田庸俊についてであるが、元親の家臣に吉田康俊がおり、吉田城主だった吉田某と混同された可能性がある。
現在は城域の一角に春日神社が建ち、一部の遺構が破壊されているが概ね良好な状態である。春日神社は祭神が天児屋根命で、慶長14年(1609)に造築している。
(春日神社の鳥居周辺の曲輪2。吉田城主の墓が建っている。場所は下にスクロールすると出てくる概略図を参照)
(土塁に囲まれた主郭。最近、建てたと思われる城址碑があった)
参考文献:徳島県の地名、三好一族と阿波の城館、土佐物語、海部郡誌、徳島県海部郡川西村史、海部のふるさとマップ
感想:先達の方々のサイトを読むと春日神社への道が藪になっていたようですが、今は草刈りがしてあり登りやすくなっています。