第三回 尼子再興の旅 レポート

 2020年3月14日(土)第三回 尼子再興の旅(尼子再興450周年実行委員会 第3回イベント史跡巡り)を開催した。今回も主催のメインは尼子動画の巨匠・エコシエーターさん、おまけが私(筑後守)。今回のコースは美保関町と八束町(大根島)で、午前の担当がエコシエーターさんで午後が私である。参加者は県の内外から集まった7人。今回は今までより島根県民率が高かった気がする。

 9時に鳥取県米子市内に集合だったが一人の方が降りるインターを間違ったとのことで30分後れで到着し全員が集まったところで分乗して美保関に出発。まあそんな些細なことより雨が降っていることが心配だったが・・・。結局、最後まで悩まされることになった。
 ※今回も写真は過去に撮影したものばかりです。

・美保関港
 日本海や海外交易の拠点の一つ。応仁の乱後は尼子氏が支配した。地元ではこの辺りを「関」と呼んでいる。

(美保関港)
美保関港

・美保神社
 言わずと知れたえびす社の総本宮。永禄12(1569)年、第一次尼子再興戦の最中に再興軍から寝返った隠岐為清と山中鹿介らとの戦いで焼失したという。その後、吉川広家が再建した。
 皆さん自由に行動していた。参加者の一人が奉納された絵について興味を持っていた。

(美保神社拝殿)
美保神社

・五本松公園
 民謡「関乃五本松」発祥の地。それが今回の目的ではなく登って周辺の地形を見てもらうのが狙いだった。しかし雨で景色が見えない上、途中に水はけが悪く水たまりになっている箇所もあり断念。

(本来は大山がはっきりと見える)
大山

(弓ヶ浜半島も一望できる)
弓ヶ浜半島

 途中で食事をした後、再開。

・萬福寺
 第一次尼子再興戦後、尼子十勇士の一人・秋上伊織介が尼子・毛利の両軍の戦死者を慰めるため発願(仏のさとりを得たいという願いをおこすこと。またさとりを完成して衆生を救おうという誓いをおこすこと)したことから建立されたと伝わる。
 松江藩勤王志士・松本巌という方ゆかりの寺らしく皆さんが熱心に墓や顕彰碑(?)を参拝していた。

(萬福寺の六地蔵)
六地蔵

 ここで解説の担当が交代。筑後守になる。

・森山城
 日本海(美保湾)と中海を結ぶ境水道を押さえる要衝。第一次尼子再興戦が始まると再興軍の秋上伊織介が守備したが形勢が不利になると毛利軍に降っている。
 ここで参考資料として配った清水寺文書などを読もうとしたが・・・あれ、詰まってしまう!? 簡単な文書だったからその場で読めると思ったのだが。人前で読むのって難しいのね。
 城は雨で危険なため入口で断念。

(今回は行けなかった主郭)
森山城

 ここを過ぎた辺りから徐々に雨が止んできた。

・千酌浦(ちくみうら)
 永禄12(1569)年6月、尼子再興軍は但馬からこの辺りに上陸し忠山城を占拠したと思われる。
 と考えて皆さんを連れてきた。エコさんが「入り江になっている。上陸にはぴったりかもしれない」と言われて初めて地形的にもあり得るかな、と思った。自分は忠山城に近いからという理由しか思い付かなかったので。

(千酌浦)
千酌浦

・忠山城
 島根半島に上陸した尼子再興軍が最初の拠点とした場所。
 NTTの中継所が山頂にあるため道が整備されている。中継所から主郭に行く際、道が滑って降りるのに苦労したが怪我人は出なかった。
 主郭の山中鹿介一族供養塔の文字は参加者数名のお陰で読むことができた。何度か言ったが読もうと思ったことすら無かった・・・。こういうのが皆で行くメリットだと思う。

(NTT忠山無線中継所。櫓に見えなくもない・・・ことはない。なんてことを話していた)
NTT

 千酌浦から忠山城に向かう途中に倒竹があったが参加者の男性全員が避けてくれたために通ることができた。ありがとうございます!!

 ここで美保関町は終了。次は大根島。再び雨が降ってきた・・・。大丈夫かな。

・馬渡港(かがち谷の古戦場)
 永禄9(1566)年、月山富田開城後も毛利氏に抵抗を続けていた小川右衛門尉が和議を結ぼうと言われ呼び出されて騙し討ちにされた場所。
 両軍の戦死者を祀っていると伝わる祠も案内したが、小さすぎて私を除く全員の反応が悪すぎて笑ってしまった。もっと立派なものを想像されていたのだろう。

(祠。写真だと分からないが50センチもないと思う。それこそ皆を騙してがっかりさせてやろうと思った訳ではないのだが・・・。予想を大幅に超える反応の悪さだった)
馬渡

・尼子塚
 大根島周辺で戦った戦死者を祀る塚。
 二つあったのだが、一つがどうしても場所が思い出せず案内出来なかった。下見の時も散々探したのに分からなかったので撤去されたのかも。

・全隆寺城
 上記の小川右衛門尉の居城。ここで毛利氏に抵抗したらしい。右衛門尉の没後、寺が建立された。
 皆で東側の堀や石垣などを見た。参加者に「北側に堀はないんですか?」と聞かれて「ないと思います」と答えたが、戻って縄張図を見たら本堂裏手まで堀が続いていたらしい(現在も存在するのか不明)。ここだけ縄張図を印刷し忘れたために嘘をついた形になってしまった。

(東側の堀)
堀

 ここで今回の史跡巡りは終了。米子市に戻って懇親会不参加組とはお別れ。参加組は市内のお店に行って2時間ほど食事をした後、解散した。

今回の感想
 ・読めると思っている文書も事前に読む練習をしておこう。
 ・前回にも増して緊張感がなかった。そのせいで細かいミスが多かったので、次回はもう少し緊張感を持った方がいい気がする。
 ・参加者に配る資料が主催者二人で作って合わせているだけなのでページが入っていなかった。そのため参加者はどこを見ればいいのか分かりづらかったようだ。次回は入れます。
 ・この企画は三回とも天気が悪かったので、次回こそは晴れて欲しい!
 ・今回も寒かったり暑かったり忙しかった。
 ・4回目も予定しているのでよろしくお願い致しますm(_ _)m

 何はともあれコロナウィルス騒動の中、御参加いただいた皆様ありがとうございました!!!



第二回 尼子再興の旅 レポート

 2019年10月26日(土)第二回 尼子再興の旅(尼子再興450周年実行委員会 第2回イベント史跡巡り)を開催した。今回も主催のメインは尼子動画の巨匠・エコシエーターさん、おまけが私(筑後守)。午前の月山富田城担当がエコシエーターさんで午後の布部地区が私である。参加者は県の内外から集まった8人。今回もほとんどが県外だった。

 26日(土)8時45分頃、米子駅で合流した参加者を乗せて月山富田城に向かった。今回は前回の反省を踏まえ余裕を持って着いた。既に参加者の大半が集まっていたが9時30分になっても一人足りない・・・。35分頃に最後の一人が到着し、主催者と参加者合わせて10人が集まり自己紹介を終えた後、出発。

 月山富田城のコースは前回とほぼ一緒なので第一回 尼子再興の旅(1日目午前:月山富田城)をご覧下さい。このレポートでは途中で起きたことや感想などを書きます。

 前回はスケジュールを守るのと事故がないように参加者に対して多少厳しくしていたが、お互いに疲れるため今回はスケジュールも余裕をもたせ途中も割と自由に行動してもらった(時々、急ぐように促した場面もあったが)。おかげで前回より雰囲気が良くなったと思う。主催者側も楽だったし。
 エコシエーターさんが真面目に解説している最中、私がちょいちょい茶々を入れていた(「こんなに大きな城が居城だった尼子氏ってもしかしてすごかったのですか?」など)。邪魔していたらすいません。

 山中鹿介祈月像の前で全員で記念撮影をした後、本丸まで行ったのだがこの辺りから雨がポツポツ降ってきた。急いで降りたが間に合わず大土塁の辺りから激しくなり傘を持っていない人達はびしょ濡れになってしまった。天気ばかりはしょうがない。

(山中鹿介祈月像。像しか見えない人が大半だと思いますが、尼子力が高い人だけ主催者と参加者が見えます)
鹿介と参加者たち

 そして道の駅から昼食会場の富田山荘に移動。手配されたエコシエーターさんの話だと、旅館の方が特別に弁当と場所を提供して下さったそうで参加者も満足した様子だった。そしてこの時、参加者の一人から(私は)山陰のお土産で一番美味しいと思っている『ふろしきまんじゅう』が配られた。皆さんも月山富田城に寄られた際は富田山荘でお食事・ご宿泊などお願いします!(現在は改装工事中で、どのようなサービスが提供できるのか不明です)

(富田山荘。ここに着いた頃には晴れてきた)
富田山荘

富田山荘

富田山荘

(富田山荘から富田城を望む)
月山富田城

(昼食のお弁当)
弁当

 食事をしながら歓談をしてお土産を見た後、布部地区に移動。

・布辨神社
 尼子氏とは特に関係なし。次の布部要害山城に行く道が境内にあるため寄った。

(布辨神社)
布辨神社

・布部要害山城
 永禄13(1570)年の布部合戦で当城を尼子再興軍の森脇市正久仍が守備した。
 参加者に縄張図を渡して山頂までのコースは案内したが、遺構などは各々で確認してもらった。山の中でみんな楽しそうだった。

(東の郭群から武者溜まりのようなところにロープがあった。ここで仕事をしている方がショートカットするためにつけたのだろう。数名がこれを見て興奮していた。もちろん誰も利用せず安全な遠回りルートで降りた)
布部山

(主郭部。ここから布部の古戦場が一望できる)
布部山

・中山街道
 布部地区と広瀬地区を結ぶ旧道。ここから山中鹿介(尼子)本陣に行ける。現地での訂正したが、資料に「山頂には鹿介を祭神とする神社(祠)が建つ」とあるのは間違いで別の場所にある。
 ここに案内したのは尼子再興軍が毛利軍の月山富田城救出を食い止めるには布部が最適の場所だと説明するため。

(中山街道)
中山街道

・尼子本陣の名水
 上記の山中鹿介(尼子)本陣を水源とする湧水。島根県環境保険公社が水質基準に適合していることを証明している飲料水である。
 みんな口にしたが何もなかった・・・はず。私は何もなかった。味は分からないが癖がないと個人的には感じた。尼子経久や山中鹿介のように無個性。これで尼子成分を摂取できるらしい。

(尼子本陣の名水)
尼子本陣の名水

・布部合戦古戦場
 永禄13(1570)年2月14日、九州から撤退し月山富田城を救援に来た毛利軍とそれを阻止しようとする尼子再興軍が激突した。この戦いで敗退した再興軍は出雲戦線での主導権を失っている。
 『陰徳太平記』だと毛利軍は毛利輝元と両川を始めとして福原・桂・志道・児玉・赤川・粟屋・口羽・益田・熊谷など毛利家の名だたる武将が参加したことになっているが、そんなオールスターズで来たのかという疑問が個人的にはある。
 ここは解説や碑を見て終了。

(古戦場)
布部合戦

・興福寺
 布部合戦で焼失したが昭和時代に再建され尼子・毛利軍の戦死者の霊が祀られている。
 ここも古い墓などを見て終了。

(興福寺)
興福寺

 これで布部地区の散策は終了。時間が余ったので車で別の場所に移動する。

・蹄の滝
 布部合戦で敗れた山中鹿介がこの滝に馬で飛び降り、滝壺に蹄の跡がついたという伝承がある。
 滑りやすくて参加者が怪我をしないか心配だった。

(蹄の滝)
蹄の滝

 今回の旅はここで終了。月山富田城下に戻って3名が帰り、残り7名で懇親会の会場に向かう。1名が道に迷われたのかしばらく来られなかったり、予約の時間をお店の方が間違っておられたなど小さなトラブルがあったが時間までには開始できた。ここで自分はどっと疲れが出た。
 懇親会も盛り上がった。

(運ばれてきた料理)
料理

料理2

20時頃に解散して全ての行程が終了した。

今回の感想
 ・熊が出なくて良かった
 ・前回より肩の力を抜いた(抜きすぎたかもしれない)
 ・前回より一カ所ごとの時間の余裕を持たせた
 ・前回は目立つ格好をしすぎたので控えめにした。主役は参加者
 ・皆さん様々な方面に詳しくて勉強になった
 ・寒かったり暑かったり忙しかった
 ・天候を操るのは無理。そんなことが出来るのは毛利元就くらい。
 ・取りあえず今回も成功だったと思う
 ・素人が主催の集まりに来て下さった皆様、誠にありがとうございました!
 ・行き先は未定ですが3回目も予定しているのでよろしくお願い致します