2012年静岡市お墓巡り(その2:具志頭王子・向井政綱・向井政重の墓)

2.清見寺・・・清水区興津清見寺町418ー1。奈良時代、ここ清見関に関所が設けられ、その傍らに仏堂が建立されたのが始まり。その後、平安時代には天台宗の寺となるが、鎌倉時代には臨済宗に改められる。室町時代には足利尊氏の庇護を受けた。
 戦国時代に入ると戦乱のため荒れ果てるが、太原雪斎が再興。徳川家康が幼少期に当寺で教育を受けたといわれている。江戸時代には徳川家から200石を与えられた。
感想:明治に入り規模が縮小したそうだが、徳川家の庇護を受けていただけあって伽藍は立派。時間があればもっとゆっくりしたかった。

(総門)

(山門。釘を一本も使っていないらしい)

(山門前に建つ田中清左衛門尉長吉逆修菩提塔。父・長名は関ヶ原の戦いで石田三成を捕らえ徳川家康に引き渡した人物)

(大方丈。家康公手習いの間がある)

(鐘楼。ここに吊られている梵鐘は、1590年の小田原征伐での韮山城攻めの際、陣鐘に用いられた)

(琉球国の具志頭王子の墓。1609年、琉球国は島津家によって制圧され、王子は江戸の徳川秀忠との謁見のため島津家久に伴われ本州に来た。1610年、王子は駿府で家康に謁見したが、その後体調悪化のため没し当地に葬られている)

(向井政綱・政重の墓。向井氏は伊勢北畠氏の旧臣で武田家・徳川家で水軍を率いて活躍した)

(総門と山門の間を走る東海道本線)


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