●水若酢神社(みずわかすじんじゃ)
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町郡723(字 犬町)
駐車場:あり
隠岐国一ノ宮。通称は「いっく(一宮)さん」。主祭神は水若酢命(みずわかすのみこと)である。伝説によると、崇神天皇の時代、若酢命が海中から伊後村(現在の隠岐の島町伊後)の磯島に上陸し、白鳩を二羽従えて当地へ来訪。その後、土地の開発などを行い、住民は神社を創建してこれを崇め奉ったと伝えられている。水若酢命伝説については、「島外から移住して開発を進めた先祖を指す」「発見された水源に宿った神霊を象徴する」などの説がある。
『続日本後紀』(貞観11(869)年、文徳天皇の命で成立)には、穏地郡水若酢命神の名が記されている。また、『延喜式』(醍醐天皇の命により延長5(927)年に完成)にも水若酢命神社の名が見られ、名神大社(社格の一つで、尊崇が厚く特別な待遇を受ける神社)とされた。
12世紀前後、理由は不明だが隠岐国一ノ宮となる。戦国時代には、隠岐氏(およびその後援者である尼子氏)と対立した水若酢神社の大宮司(名は不明)が没落し、代わって代氏が大宮司となった。
慶長4(1599)年には吉川氏から作分(小作地)70石、寄免分(村に定められた年貢や課税の割り当て)30石、社領10石が認められた。近世には松江藩によって何度も再建、修築が行われている。延宝4(1676)年には洪水により、一宮村(隠岐の島町郡 字「一宮」)から現在地へ移転したという。幕末には代氏から忌部氏に姓を変えた大宮司が尊皇攘夷に傾倒し、隠岐騒動の指導者の一人になっている。
近世まで「一宮大明神」と称されたが、明治維新後に「水若酢神社」と改称。明治時代頃までは水若酢を「みわかす」と読んでいたようである。
西暦の偶数年の5月3日に開催される「水若酢神社祭礼風流」は、県の無形民俗文化財に指定されている。
(中西毅男が開いた私塾の膺懲館跡。ここの学生が後の隠岐独立に傾注した)

(社殿。本殿は国指定重要文化財で「隠岐造り」という神明造り、大社造り、春日造りを合わせた造りらしい)

(水若酢神社古墳群。6~7世紀頃の太刀や勾玉などが出てきた。伝承と重ね合わせると、移住してきた人の子孫が生活して神社の原型みたいなものも一宮村に建てていたのだろうか)

(県指定有形文化財の旧周吉外三郡役所庁舎。水若酢神社に隣接している。明治18(1885)年、隠岐の四郡(周吉、穏地、知夫、海士)の四郡の庁舎で、現在は有料の資料館(隠岐郷土館)になっている)

参考文献:島根県の地名、西郷町誌 下巻、隠岐西郷町誌、神国島根、現地の案内板、しまね観光ナビ
感想:竹島関連のポスターなどが多かった記憶があります。








