●隠岐勝山城
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町原田
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、虎口
標高:214メートル/比高:177メートル
永禄12(1569)年、佐々木(隠岐)氏が築城したという(前年の永禄11年説あり)。同年、尼子勝久・山中鹿介ら尼子再興軍が但馬から隠岐に渡った際、再興軍に協力していた佐々木氏は同城を勝久に提供した。その後、再興軍は出雲に上陸し毛利軍と戦うが敗北し、元亀元(1572)年に勝久は隠岐に逃亡している。この時に当城を利用したかは不明である。
円のような形をした島後のほぼ中心にあり海から見るともっとも奥まった位置にあることから、敵に知られにくい、攻められにくい、などの利点がある。
(縄張図の南の登山道にあった削平地。ここは城域とは見なされていないのだろうか)
(曲輪Ⅴ。この西に続く曲輪から整備されておらず曲輪の移動に急斜面が多くなる。切岸が良好な状態で残っているとも言える)
(曲輪ⅥとⅦ。Ⅶの北側に土塁があった。間は虎口だろうか。それにしては北側は急斜面な気もするが)
感想:勝久がいたから勝山という名前になったのだと思います。
昔は旧暦の3月12日に大山神社の石碑の前でかがり火を燃やし夜を徹して酒食を共にしたそうです。地元の方に聞いたところ現在でも風習は形を変えて残っており、同日に石碑で神事を行って清掃し麓の集会場で宴会を行うそうです。