勝山城(隠岐での尼子勝久の居城)

●勝山城
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町原田
駐車場:なし
遺構:曲輪・土塁など
標高:218メートル/比高:150メートル

 永禄12(1569)年、佐々木(隠岐)氏が築城したという。同年、尼子勝久・山中鹿介ら尼子再興軍が但馬から隠岐に渡った際、再興軍に協力していた佐々木氏は同城を勝久に提供した。その後、再興軍は出雲に上陸し毛利軍と戦うが敗北し、元亀元(1572)年に勝久は隠岐に逃亡している。この時に当城を利用したかは不明である。
 円のような形をした島後のほぼ中心にあり海から見るともっとも奥まった位置にあることから、敵に知られにくい、攻められにくい、などの利点がある。

(入口。左の山が勝山城)
入口

(大岩を利用し敵を左右の隘路に進ませるための虎口)
虎口

(大岩)
大岩

(曲輪に建つ大山神社の石碑)
大山

(曲輪)
曲輪

(曲輪その2。「ワ」のような形をした縄張りで延々と曲輪が続くが、疲れていたので「ノ」の部分だけ見て途中で引き返した)
曲輪2

(南東方面を望む)
南東

感想:勝久がいたから勝山という名前になったのだと思います。
 昔は旧暦の3月12日に大山神社の石碑の前でかがり火を燃やし夜を徹して酒食を共にしたそうです。地元の方に聞いたところ現在でも風習は形を変えて残っており、同日に石碑で神事を行って清掃し麓の集会場で宴会を行うそうです。





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