松江城(現存天守、堀尾氏・京極氏・出雲松平氏の居城)

住所:島根県松江市殿町1-5

 1600年に関ヶ原の合戦で、出雲一国をもらった堀尾吉晴は尼子氏の居城・月山富田城に入る。だが、城下町を作るのに不便な地形や海から遠いという理由から極楽寺山(亀田山)に築城を決める。1611年に5年の歳月をかけて松江城を完成。だが、吉晴の跡を継いだ忠晴は嫡子がなく断絶。続く京極氏も1代で断絶してしまう。
 その後に入ってきたのが、結城秀康の三男・松平直政である。以後、明治維新まで松平家が出雲を支配する。松江藩主の中でもっとも有名なのが、茶人として名高い不昧公である。彼は破産寸前の状態だった松江藩を数々の改革で救っている。不昧公の影響か今も出雲地方の方はとてもお茶を飲むが好きである。客が来たらお茶を出す(しかもまあつまみの量のすごいこと)。10時・15時・寝る前にお茶ととにかくお茶三昧である。
 明治維新で不用となった松江城だったが、天守閣だけは市民の希望で残り(隣の米子城とはえらい差である)、昭和25年からの解体修理を経て現在にいたる。現存する12の天守のうちでは姫路城に次ぐ2番目の規模を誇る。宍道湖と並ぶ松江市の顔である。

(堀)

(二の丸と門跡)

(南櫓)

(中櫓)

(太鼓櫓)

(石垣と天守閣)

(天守閣)

(天守閣内に展示してある伝・後藤又兵衛の鎧と槍)

(天守閣より松江市と宍道湖を望む)

(堀尾吉晴の像)

(松江歴史館。松江の歴史を知ることが出来る)

(歴史館で頂いた和菓子と抹茶)

感想:松江市は城も街も整然としていてとても綺麗なところです。月山富田城と共に出雲に観光に来た際は是非行っておきたいところですね。

(縄張図)
縄張図



松江城(現存天守、堀尾氏・京極氏・出雲松平氏の居城)」への2件のフィードバック

  1. デジカメは・・・この時はそんなにいいのを使っていませんでした。今のは安いのでも昼間は綺麗に写りますよ。

    ここからの松江市街の眺めはいいです。田舎であまり高い建物がないだけに余計にそう思います。

  2. いつも思うのですが、筑後川さんの撮られる写真はきれいですね。
    腕とカメラが違うのでしょうね。
    いいお天気で、城日和です。
    天守閣から望む宍道湖は、私も同じ構図でこの前見学しました。
    いい眺めですね。

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