(5月5日~5月7日のルート。実際の道は考慮せず通過した場所を直線で結んでいます)
5月5日~5月7日:五日。出舟するに、跡にでも一折張行すべきよしにて所望なれば、当座に、
『浮き草の 根に引かれゆく 菖蒲(あやめ)かな』
七日。浜田を出でて行くに、「高角といふ所なり」と言ふを舟より見やりて、
『石見潟 高角の松の 木の間より 浮き世の月を 見果てつるかな』
と人丸の詠ぜし事思ひ出でて、
『移りゆく 世々は経ぬれど 朽ちもせぬ 名こそ高角の 松の言の葉』
5日に温泉津を出向する際、連歌会を催したいのでまたも発句を求められたので即興で詠む。
「浮き草の根に絡まった菖蒲が引っ張られて流れて行く」
7日に浜田(浜田市長浜町の浜田港)を出向して西に進んでいると
「ここは高角(益田市高津町の益田港)という場所です」
と話しているのを聞いて舟から見て、柿本人麻呂(万葉歌人。益田市と所縁の深い人物)の歌である
「石見潟の高津の松の間から見える月を見て、この世の盛衰を全て見た」
を思い出して
「世の中は移り変わったが高津の松のように人麻呂の歌も色褪せない」
と詠んでいる。
この後、幽斎は長門(山口県北西部)を経由して九州に行き瀬戸内海を経由して近畿に戻っている。
島根県では戦場に向かうというより物見遊山のような感じである(全体的にそのような雰囲気の日記だが)。各地で歓迎され発句を所望されていることからも幽斎の文化人としての知名度の高さが伺える。
現在では航路は無理だが陸路は可能なため車で幽斎の旅路を辿るのも楽しいのではないだろうか。鳥取県大山町をスタート→松江市を経由して出雲市で一泊→大田市を見て廻り浜田市を抜けて益田市で一泊、の二泊三日のコースなら辿っていくことが可能だろう。
(島根県での幽斎のルート。実際の道は考慮せず通過した場所を直線で結んでいます)
(幽斎さん、お疲れ様でした。写真は熊本県熊本市中央区黒髪4丁目の立田自然公園内に建つ幽斎の墓)
参考文献:新編日本古典文学全集48(中世日記紀行集)、島根県の歴史散歩、島根県の地名