出雲宇波城(土居城、真木氏の城)

●出雲宇波城(土居城)
住所:島根県安来市広瀬町宇波
駐車場:不明
遺構:曲輪など
標高:182メートル/比高:42メートル

 正中2(1325)年、三村朝貞が築城したと伝わる。その後、三村氏は信原→真木と改姓した。10代目の真木朝定の娘は尼子清定に嫁いで経久・久幸兄弟を産んだという。文明16(1484)年、守護代を罷免され月山富田城から追放された経久は母の実家である真木氏を頼り、文明18(1486)年正月に経久が富田城を奪回する際、真木氏も協力した(『雲陽軍実記』など)。
 その後、宇波城は富田城を守る要衝となる。真木氏も尼子氏のため活躍したが、永禄13(1570)年の布部合戦で真木与市が戦死し断絶している。永禄12(1569)年、尼子再興軍が富田城を攻めた際には付城の一つとして利用された。
 城址には宇波小学校(現・宇波交流センター)が建てられ遺構の一部が破壊されている。

(入口)
入口

(登っている最中にいくつか削平地があった)
削平地

削平地

(主郭らしい)
主郭

主郭

主郭

(主郭らしき場所から交流センターを望む)
交流センター

(主郭らしき場所にあった堀(虎口?)。遺構かどうか不明)
堀(虎口?)

(更に上に登ると段々になった曲輪群があった。下の主郭は二の丸辺りで、そこに来た敵を上から攻撃する縄張かもしれない。もっと先に進もうと思ったが藪がひどくて諦めた)
曲輪群

曲輪群

曲輪群

(全景)
全景

感想:ここは別名が土居城という名前でも分かる通り居館跡で、詰城は近くの高小屋城でそこが宇波城ではないかという説もあります。



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