千酌浦(千酌浜。尼子再興軍上陸の地)

●千酌浦(ちくみうら)
住所:島根県松江市美保関町千酌
駐車場:あり

 南北と西に山々があり西には日本海(千酌湾)が広がっている。南に下れば忠山城を経由して中海と本庄地区に出られる。『出雲国風土記』には都久豆美命(つくつみのみこと)が爾佐神社に祀られているから都久豆美と呼ぶべきだが誤って千酌と呼ばれているとある。
 古代には千酌駅があり隠岐へ渡るための港があった。永正14(1517)年、代官になった尼子経久が禁裏御料所の千酌から税を横領している。朝廷は幕府を経由して返還の要求をするが、全てを返すことはなくやがて尼子氏の所領になったようだ。
 永禄12(1569)年6月、尼子勝久を大将とした尼子再興軍が千酌浦から上陸したと言われるが、日本海から最初に拠点とした忠山城の最短の場所が千酌浦という理由からの推測されただけで同時代の史料、陰徳太平記、雲陽軍実記のどれにも記載がない。
 近世は島根半島有数の漁港になっている。

千酌浦

千酌浦

参考文献:島根県の地名、美保関町誌 上巻、

感想:本文には記載がないと書きましたけど、まあここで間違いがないでしょう。尼子再興戦発祥地の碑を建てて欲しいです。